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    題名: 生命の創造と身体--川上弘美「物語が、始まる」と竹取物語、そしてゴーレム
    作者: 齋藤正志
    貢獻者: 日文系
    日期: 2011-11-19
    上傳時間: 2016-01-27 10:09:55 (UTC+8)
    摘要: 川上弘美の短篇小説に「物語が、始まる」がある。この小説の先行研究に拠れば、「性愛」の棄権や「古典物語の黄金の類型」を無効にする不条理さなどを指摘されているが、それは当該小説が平安時代の竹取物語と関係性を持つからではないだろうか。すなわち両者の間に「身体」をテーマとした相互連関性を読み取るなら、山田ゆき子が「男の雛型」を得ても、竹取の翁が「三寸ばかりなる人」を得ても、それらの心身の成長によって得た者と得られた者との関係は変化するし、かぐや姫が適齢期を迎えながら結婚を拒み通したように、三郎は他人との性交渉は可能なのに同居のゆき子とは最後まで不如意であった。この両者に「ゴーレム」の二つの要素を看取すると、①話すことができないモノで、②目的もなく造られるモノであるという2点で、その関係は、より明確になる。「物語が、始まる」に発見と成長と惜別の物語としての「エピソード.かぐや姫」の構造を読み取り、ゴーレムに関する二つの要素を認めた時に古典物語と現代小説は神秘的な身体性において相互連関するのである。
    關聯: 輔仁大學日本語文學系研討會 ; 2011期 (2011 / 11 / 19) , P103 - 112
    顯示於類別:[日文系所] 期刊論文

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